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古事記とか読んでても感じることなんだけど、神話っておおむね「死後の世界」をわりとカジュアルに行き来可能な世界として描いていますよね。現代で言うと、ちょっと乗り継ぎの悪い外国くらいの距離感。たぶん「死」という概念が現代とはだいぶ違うんだなと実感します。— たられば (@tarareba722) 2020年01月04日
@tarareba722 wired.jp/2020/01/02/the…
この記事、おすすめです。— 佐渡島 庸平(コルク代表) (@sadycork) 2020年01月05日
@tarareba722 民話・伝説の類いだと日本は特にカジュアルなのかも、と感じますね
「爺さん二人が山で道に迷い、何とか集落を見つけたと思ったら食べ物や日用品はそのままに人の気配だけがない、ふと気付くとこちらを伺っている人影が多数あって、よく見ればここ数年で亡くなった顔見知りばかりだった」→— 赤点急降下 (@twrdtw) 2020年01月05日
@tarareba722 「慌てて走って逃げると知った道に出て元の村に戻れたが、爺さんの一人は『せっかく懐かしい顔があったんじゃからゆっくりしてくれば良かったのに』と残念がる。しかしその残念がっていた爺さんは年が暮れないうちに死んでしまった」
みたいな山一つ越えると死者の国があるような話が各地に。— 赤点急降下 (@twrdtw) 2020年01月05日
@tarareba722 アジアでも此岸・彼岸とは昔から言いましたけど、中東アジア問わず、死後の世界を何か地続きの領域として捉えられていたのかも知れませんね。
近代科学以前と以後でそんなにも違った共通認識があったんだと言われても、正直信じられませんw
— Dizela@Tiamat_FFXIV (@colo_dizela_ff) 2020年01月05日
@tarareba722 神的存在にとって「死後の世界」との行来はカジュアルでしょ。身分の高い人が死ぬことを「お隠れになる」というのもそういうことではないかと。
— 回鍋肉 (@hoikourou0309) 2020年01月05日
@tarareba722 日本でも、黄泉平”坂”の向こうにもうある世界だったわけですしねぇ。
— カズヤ☆低すぎる☆ツイッターレベル (@Kazzforze) 2020年01月05日
@tarareba722 ちょうどこのシーンですね!
(フクチマミさんの「もんね!!」という語尾がいい味出していて、お気に入りです✨)— 天野慶*「枕草子いとめでたし!」発売中🌸 (@utataneko57577) 2020年01月05日
@tarareba722 古事記のイザナギの話と、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とが非常に似通っているのは、どちらもこのメソポタミアあたりの物語が原点なのかもしれませんね。
死が身近だったこと、土葬が基本であったことなどが、このストーリーを受け入れる共通の土壌だったのでしょうか。
— hokushi (@hokushi48) 2020年01月05日
@tarareba722 今よりもすぐ近くにあったからですかね?
— はじめ (@hajime_h) 2020年01月05日
小野篁が地獄に行って閻魔大王の手伝いした話とかあるよね