五十歩百歩過ぎる…
あとうみねこ
俗物っぷりでは時貞の方がアレだったな……
トッキーに体もらう方のジジイ
時貞は「つまんねえなあ!」の一言で表されてるというか
帝国時代旧体制の財閥の爺の権化って感じ
「鎌倉の老人」信楽老、「鎌倉の御前」船津忠厳
龍賀時貞や間桐臓硯もこの系譜よね
果芯居士はあくまで全盛期のサーヴァントだから、生前の末路は発狂して人形のバケモノとして討伐された、でも不思議じゃないのでピンピンしてたかは不明
人間の形失って巨大コンピュータ化までした異聞帯始皇帝がピンピンしてるのはまじで分からん。荊軻に不死性破壊された外道始皇帝も存在するから始皇帝自体は特に特別ってわけでもなさそうだし、仙人とか仙術がよほど魂の保存に強いんだろうか
臓硯のは「肉体が徐々に老化して腐敗するから魂もそれと同時に劣化した」とのことなので、劣化しない肉体を用意できればその時点で劣化を固定できる。
型月における魂は肉体に引きずられて劣化するものだから、機械や人形のように最初から生物をやめておけば解決はする。(ただこれは生者として判定されなくなるかもしれない)
型月だと仙人は無茶苦茶デカい補正掛かるっぽい(弁慶も数百年生きて牛若の事を語り継ぎ続けていたらしい)ので、その辺りの課題をクリア出来るのかもしれない
まあコンセプト自体はよくあるし
俺は森博嗣の方思い出したけど奈須きのこは思い出さなかった
ゾウケンは好きだよ
似ても似つかない
上で誰かが言ってる様にゲ謎ジジイは単なる権力崇拝の俗物だし
目的の質も大元の質も違うのに、最終的に『他の事はどうでもいい! 何が何でも延命してやる!』で終始してしまっているのは悲しさを感じる
老後は似た者同士になっちゃったなぁ・・・という感じか
当初はご立派な目的があったのだとしても
どっちも趣味最低だけど品性はまだ蟲爺のがマシ
蟲爺にはかつて愛する女と同志の男がいた過去があるけど時貞にはそれが描かれてない、ペラいんだろうけど